半導体産業のワイルドカード
昨今、大方が懸念していたとおり、新型コロナ株(BA.5株)の蔓延による感染者数の急増(第7波)により、再び騒がしくなりつつあり、従来の繰り返しが絶えない一方、2022年前半では、ウクライナ戦争をはじめ、国内外で予期しない事変も勃発しました。同様に、半導体産業においては、一転し、インフレによる景気後退への懸念によるエンドユーザー需要の減退及び過剰在庫が一部で顕在化するなど、これまた、従来からの予想を裏切らない潮目の変化を迎えているようですが、一方で、従来では遭遇しなかったワイルドカードを秘めていることを意識しておくことは必要であるように思います。
最近、Bloombergは、米国が、オランダに対し、ASML Holding NVが半導体を量産するために不可欠な主流技術の中国への販売を禁止することを求めているという関係者への取材を報告しています[1]。同レポートによれば、ASML社はすでに、最先端の露光機であるEUVシステムは同国へ販売できませんが、アメリカの当局者は、ASMLが、モバイル機器、自動車、コンピュータ機器などの汎用先端電子機器向けの半導体製造に不可欠なDUVシステムの一部を販売することを禁止するようにオランダの対応者に働きかけているとの談を報じています。無論、その実現は容易ではなく、米国商務省とオランダ外務省はコメントを控えていることも報道していますが、米国側のこうしたロビー活動が自国の企業及び産業を超えて、今後、どう展開してゆくかには十分に注目すべきでしょう。
一方、中国側に関しては、1ヶ月程度前ですが、「中国政府系の研究グループに所属するチーフエコノミストが、米国が対ロシア並みの制裁を中国に科すなら、世界最大手ファンドリ企業の台湾積体電路製造(TSMC)を手中に収めるよう中国当局に提言した」との報道がありました[2]。同ニュースによれば、これは、中国の経済政策全般の立案を担う、国家発展改革委員会が所管する中国国際経済交流センターの陳文玲チーフエコノミストによるもので、陳氏は中国人民大学重陽金融研究院が主催した先月の講演の中で、「特に産業チェーンやサプライチェーンの再構築でわれわれはTSMCを手中に収めなければならない」と述べたとされています。TSMCの担当者は陳氏の発言に関してコメントを控えたとのことですが、なんとも穏やかではない話です。
話はさらにExtremeな方向に進みますが、こうした一連のニュースを目にし、年初に報道された台湾侵攻の抑止策に関する論文を思い出しました。その第1報は、Nikkei
Asiaの記事であったと記憶していますが、同記事では、The U.S. Army War Collegeが2021年に発行した論文中、最もダウンロードされた論文として、2人のアメリカの学者が提唱した台湾侵攻の抑止戦略の論文の概要について報告しています。同記事中においては、その論文における重要な提言の1つは、"北京が侵略に動く場合、米国と台湾がTSMCの施設を破壊すると脅迫することである”と紹介しています。当時はウクライナ戦争も勃発しておらず、一般にはあまり話題にはなりませんでしたが、今日の状況を鑑みると再び気になる内容です。
実際の論文は、Jared M. McKinney氏とPeter Harris 氏により書かれた "Broken Nest: Deterring
China from Invading Taiwan(壊れた巣:中国の台湾侵攻を阻止する)”と題された論文[4]で、"Broken
Nest"とは、中国のことわざで、”Beneath a broken nest, how(can) there be any whole
eggs?(本論文より)"に例えられる掲題の解釈を意図しているようです。実際、論文を読んでみると、上記の記事で述べられている提言そのものよりも、台湾侵攻を合理的かつ効率的に抑止するための戦略的思考に重点があるように思われます(個人の感想ですが...)。
論文では、台湾を巡る米中間の緊張状態に対して、米国側が態度を保留するー”あいまい戦略(strategic ambiguity)"が機能していた前提を示し、米国が中国側の増大するpowerに追随することが困難になっている近年では、米国側が軍事力の脅威による抑止(deterrence
by denial)は効果的でなく、また、その戦略の結果として予期される有事においては両者のコストは莫大となることを主張しています。このような従来のアプローチに変わり、著者らは、ワシントン及び台湾のリーダーは「懲罰による抑止戦略(deterrence
by punishment strategy)」を構築すべきであると述べています。具体的には、古くから焦土戦略として知られているもので、例え、占領したとしても「経済的、政治的、戦略的に受け入れがたいコスト」の脅威を提示するというもので、その事例として、”北京が侵略に動く場合、米国と台湾がTSMCの施設を破壊すると脅迫する”という提言とその効果について述べています。さらに、論文では、こうしたシナリオ戦略が信頼性を持ち、実際に機能するためのしくみ(自動メカニズム)やそれに付随し不可欠となる台北における緊急計画を策することにも触れられています。また、実際、類似の戦略(焦土戦略)は、第二次世界対戦中では、スウェーデンが当時、重要な戦略材料であった鉄鉱石鉱山に対して遂行されたとも述べられています。私は軍事アナリストではないので、こうした戦略思考を評することはできませんが、半導体産業がこうした視点から論じられることは、長い産業史でもはじめてであり、日本では実感しませんが、The
U.S. Army War Collegeの発行した論文中、2021年で最もダウンロードされた論文としてグローバルには関心の高い話題であることは意識しておくべきではないかと思います。
2022年も下期に入り、市況やビジネス計画に対して様々な見直しが行われる時期かと思いますが、国内外では予期できない事象が勃発している昨今、不測の事態は誰も予期できませんが、辻褄合わせのアップデートに留まらず、広い視野と構想力をもって見通すことが益々重要となっていると実感しています。
<参考文献/サイト>
[1] Jillian Deutsch, Eric Martin, Ian King, and Debby Wu, US Wants Dutch
Supplier to Stop Selling Chipmaking Gear to China, Bloomberg, July 6, 2022
[2] Top Economist Urges China to Seize TSMC If US Ramps Up Sanctions, Bloomberg,
June 7, 2022
[3] Ken Moritasu, Taiwan should destroy chip infrastructure if China invades:
paper, Nikkei Asia, January 5, 2022
[4] Jared M. McKinney and Peter Harris, Broken Nest: Deterring China from
Invading Taiwan, The US Army War College Quarterly: Parameters , Vol.51,
No.4, Winter 11-17-2021