実証分析の大切さ

 首都圏の新コロナウィルス感染者は増加傾向を示し、リバウンドが懸念される中、首都圏における緊急事態宣言が解除されました。新コロナウィルスの蔓延が顕在化したここ一年を、振り返ってみますと、残念ながら、国内においては、データ分析による実質的な政策への貢献は薄いように見えます。当初は、日々計上される検査数や感染者数のデータの質や課題についての議論やさまざまな計量指標の開発にも注力されていましたが、未だ、有効な政策決定につながるような分析結果は一般にはシェアされていません(私見ですが...)。データ分析を政策決定に有効なものとするには、単にデータを集計し、傾向を追うのみでは不十分で、適切な課題設定と理論及び科学的評価方法に裏付けられた実証分析を行う必要がありますが、そもそも、国内においては感染症拡散の実証分析の経験が少なく、分析ノウハウや基本的な知見の蓄積が十分でないことが、データ分析が政策作成に効果的に結びつかない要因のひとつであると想像しています。私も自身の分野の実証分析に携わっているので、想像がつきますが、限られた時間・リソースで実証分析を行うには、分析に必要なインフラやプロセスの事前構築が必要です。特に、その分野のデータのみで足りるケースは少ないので、的を得た課題設定と必要なデータへのアクセシビリティが重要で[1]、言わば、分析の"エコシステム”を普段から整備しておくことが不可欠になります。また、感染症学やマクロ経済学の専門家が、必ずしも実証分析のノウハウを持っているとは限らないので、むしろ、実証分析が得意な計量経済学、経営学や社会学の専門家などのノウハウを取り入れることも役立つと考えられます。

 また、最近の”世界的な半導体不足”の問題も、実証分析に基づく、本質的な政策決定が求められている課題です。メディアではCatchyな記事がにぎわっていますが、こうした記事や関連レポートを見ても(入手可能な範囲で)、概ね、現状解説や不足に至ったいままでの推移、Speculationを積み重ねたオピニオンが並ぶのみで、政策につながるような有効な実証分析は見られません。今回のように車載半導体の不足が、自動車産業へ大きく顕在化したケースは稀ですが、抜本的には従来から半導体産業の課題とされている需給バランス崩れの問題の一貫として捉えることもでき、いままでの事例からの問題検証と政策への検討が不十分であることが有効な解決策を見出せない要因のひとつであると考えられます。一般には、あまり知られていませんが、過去の半導体産業においては、時の産業課題への政策を意識した実証分析が、産業をリードした主要国を中心に行われていました。若干の例を挙げれば(いささか古いですが...)、80年代後半から90年中盤においては日米半導体貿易摩擦を背景に”メモリチップのダンピングの実証研究”[2]や、国内でも、”日本企業のキャッチアップ要因の実証研究[3]"などはよく知られています。日本では、すでにあまり関心が見られませんが、現在でも、韓国や台湾では、アカデミアや主要ベンダーにより、半導体産業に纏わる、様々な実証研究が行われていますし、欧米台の主要企業やアカデミアを含めて、今回の不足問題にも関係が深い半導体サプライチェーンに関する問題も、既に重要性の議論がなされ、関心の高いテーマです[4]。現在、半導体産業は、政治的要素を絡み、新たな局面に入る様相を呈しており、今後、再び、課題解消や政策決定に貢献できる実証研究・分析のニーズが高まってゆくものと予想されます。

 2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏は、基礎科学の重要性の例えとして、基礎科学とは"0"から”1”を生み出すもので、応用科学は”1から1000”を展開するものであるが、"0”から”1”への創出がなければ、”1”から”1000”への展開は生じないと説いていますが[5]、ビジネスや政策決定における実証分析も、科学における基礎研究の立場と類似しているようにも思います。実際、課題解消に有効な政策やアイディアの創出には、その根拠となる実証分析が不可欠です。マーケティングや戦略分析と比較して、実証研究・分析は普段ではあまり目立たない、地道な成果ですが、不測の事態への対応やイノベーションの創出といった局面では時として大きく貢献することがあります。特に、時代の転換期では、表層的な動きのみに踊らされず、本質的な課題や目的に対して、必要な事実や現象の解明を行ってゆく分析が、骨太の企業・産業の競争力の構築に役立つと考えられます。

 

 

<参考文献・サイト>

[1] 上野千鶴子:『情報生産者になる』、第2章、2018年9月、筑摩書房

[2] Andrew R. Dick: 「Learning By Doing and Dumping in the Semiconductor Industry」, Journal of Law & Economics, vol. XXXIV. pp.133-177, April, 1991

[3] 伊丹敬之+伊丹研究室:『逆転のダイナミズムー日米半導体産業の比較研究』、1988年7月、NTT出版

[4]07. – 12. February 2016, Dagstuhl-Seminar 16062

https://www.dagstuhl.de/de/programm/kalender/semhp/?semnr=16062

[5] 鈴木厚人:「基礎科学は役に立つか?」、低温工学、第42巻1号、p1、2007年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcsj/42/1/42_1_1/_pdf

 

2021年03月30日