実務家による研究の意義★★★

 例年、1-2月は何かと立て込むのに加えて、昨年終盤に急遽、オーストラリアでの国際学会で発表することとなり、スケジュールがさらに切迫し、すでに令和2年も3月がちらつきはじめ、焦っております。しかし、なんとか会議も終了し、現在、帰国の途にあり、ブログをアップデートする時間もできてまいりました。今回は、ちょっとブログの本題からはそれますが実務家の研究活動について、所感を記すことにします。

 私自身、実務家としての研究活動を継続して、もはや10年以上の歳月が経ちますが、アカデミアの先生方の研究と比較してしまうと、”陳腐な内容だな”と悲観したり、”場違いなところに来てしまった”ということを痛感することがあります。しかし、開き直って言えば、そもそも実務家の研究者(研究そのものを生業としない、あるいは副次的業務とする)とアカデミアの方々の研究は一概に比較できないと思うのです。千差万別ですが、料理人に例えれば、社会科学分野の多くでは、アカデミアの研究者はある意味、素材は目新しくなくても、技術や創造性を競う一流料理人を目指している一方で、実務家の研究者は、手はかけられなくても、旬や目新しい素材の素朴な味を提供するとか、手軽で割と美味しい(役立つ)レシピみたいなものを考えている、家庭料理人のような気がします。

 両方とも意義がありますが、実際、日々の課題解消の役割を研究の意義に求めるとすれば、学会発表の事例数とは逆に、後者の方がより多くの研究機会があるかもしれません。個人的にも、アカデミアの研究者が実際の問題を題材とした場合には、課題設定が実際的でなかったり(理想化しすぎる等)、理論的側面や精度にこだわりすぎていたり、問題は指摘できても、自明であったり、具体的な対応策が示せない等の印象を持つことがよくあります。実務家の視点はこうした問題に対して貢献できる点があるように思います。

 一方で実務家もこうした研究活動から教えられることが大変多いです。個人的な経験では以下のような点での効果が期待できます。

1.ロジカルシンキングの鍛錬

当たり前ですが、研究発表ではアイディアや分析結果を客観的かつ論理的に説明しなくてはならず、社会的ポジションに関わらず、この点に不備があれば誰でもリジェクトされます。実務の世界では、過去では問題なく上手く行っていた慣習や判断が、実は合理性を欠いていたり、根拠が不明確であることが少なくありません。全くの第三者に論理的に説明する過程を通じて、これらは見直しを迫られます。また、業界常識や経験などの、暗黙知も確立された分析手法やフレームワークにより定式化できれば、知的資産としての活用範囲が広がります。

2.コミュニケーション力の向上

自分の専門業界ではない方々に自分の考えを説明しなくてはならないので、1と同様に、論理的かつ相手の立場に立った、プレゼンや記述が求められます。業界内でのやりとりは、お互い、なんとなくの共通認識や常識があるため、おざなりになりがちですが、改めて、相手の立場からの視点の重要性を痛感させられます。

3.新たな知の獲得

最も大きな収穫は、違ったフィールドからの評価により、今までは考えが及ばなかったような視点や知識、さらには新たな人的な交流を構築することができます。長年同じ業界にいる実務家は自然と視野が狭くなり、大胆な発想ができなくなったり、課題対応に対しても、前例に従った対処的療法で乗り切ろうとしがちです。やはり、大きくブレークスルーするには、新たな知の獲得と違った専門家からの助言が必要になります。

 一つの組織や業界に長く従事していると、気が付かずに、実質的には、所属ブランドや築いてきた地位、自分のキャラクター等で、日常業務を回していることが多いのではないかと思います。自分自身の客観的なポジションを把握するには、周囲の評価のみならず、時折、第三者の客観的評価に自らを晒すことも重要になるのではないかと思います。

 また、先程、実務家の研究者は家庭料理人の様だと言いましたが、それでも、いつかは、三つ星★★★とはいかないまでも、一つ星★️に認められるくらいの研究は発表したいとも思っています。幾つになっても、成長への機会があるのはありがたいことです。今後も、精進してチャレンジしたいと思います。

 

 

2020年02月08日